7手目▲7四歩の局面は、「終わっている」のか?
2008/05/18のエントリー「「新・石田流(7手目▲7四歩)」まとめ (特許明細書風)」で述べた、7手目▲7四歩の局面。ドラマ「ハチワンダイバー」の中で、この局面に触れ、主人公の師匠が「将棋をひとつ、終わらせてしまった」と語っている。本当にそうなのだろうか。
結論から述べると、
はじめに、「終わり」の定義についてはっきりさせておこう。
「終わり」というのは、「(先手良し、のように)優劣が断定できる」という意味である。
逆に「終わっていない」というのは、「まだ優劣の断定ができていない、形勢不明な」という意味である。「優劣は確定したが、まだ僅差なのでこの先逆転してしまう可能性はある」という意味では決してないのでご注意あれ。
つまり「終わらせてしまった」と言うには、間違いなくその局面についての優劣をはっきりさせなくてはならない。▲7四歩の局面について言えば、これ以降まだ想像もついていない後手の新手はあるはずで、「先手良し」でなく実は「後手良し」だった、ということは多いにありうる。
ある者は「終わっている」ことを確信するために、ある者は「終わっていない」ことを示すために・・・。当の鈴木大介八段も含め、おそらく▲7四歩の局面はいまだにプロ間の研究会などで研究されているはずであり、そのような局面に対して「終わった局面」なんてことは言うべきではない。
「実は終わっていなかった」、ということが起きた象徴的な例が、「角換わり腰掛銀」の変化の1つである。
第2図の局面は、平成4年頃に最初に現れた変化で、この局面は先手良しとされ、「終わった」局面とされていた。
しかし佐藤康光先生は、この約10年後(!)の平成14年、羽生善治先生との棋王戦第4局にて新手△3五銀を繰り出す(詳しくは「将棋世界」2007年9月号『新手魂 - 佐藤康光インタビュー「新手への飽くなき挑戦」』や2008年6月号『勝又教授のこれならわかる!最新戦法講義(1)プロの本流!腰掛け銀の巻』を参照下さい)。厳密にはそれで後手良しとはいえていないのだが、先手良しともいえなくなり、第2図の局面は「終わっていない」、形勢不明の局面として扱われるようになった。
あきらめたらそこで試合終了だよ
浅はかに「終わった」と考えてしまうことは、その先に潜む膨大な変化を「良いに決まっている」と考えて見てみぬふりをすることを意味し、そう考える棋士の成長を止めてしまう可能性がある。
「終わっている局面」と「終わっていない局面」を見切る能力、それすなわち形勢判断力であり、これは非常に重要だ。形勢不明の局面だけを研究するだけでなく、「終わっている」と思われている局面のなかで、「ノイズ」(不穏因子)を含むものを見抜き、これも研究できるようでないといけない。
そして結論を翻す新手を発見し、実戦で用いる。将棋は、永久にこの進歩の繰り返し。
もちろん、中・終盤で明らかに優劣がついた局面も多く存在するので、その場合はきっちり必勝形まで(できれば必死や詰みまで)読みきった上で(中途半端な読みでは前述と同じ)、「終わり」と断定してしまってかまわない。読み切ってしまえば、以降その局面は全く検討しなくてよくなる。
ちなみに一般的には、我々アマチュアは軽い気持ちで「あー終わったー」というフレーズを乱用してしまうものだ(実は自分のほうが優勢なのかもしれないのに)。リップサービスとしてこのフレーズは面白いが、本当はこんなことを言っている暇があったらしっかり読んだほうがよいのは間違いない。
将棋の神様にとっては、初形から終わっている
実は、どんな局面でも「終わり」を宣言してよい、究極の達人がいる。それが、「将棋の神様」だ。ブログタイトルからお分かりの通り、これは、2003年末からはじめている本ブログ(当時からタイトルを変えていない)のベースとしている究極のテーマでもある。
2003/12/30のエントリー(古っ!)をそのまま引用しよう。
将棋というゲームが先手必勝か後手必勝か、はたまた互角(両者最善を尽くすと千日手か持将棋)かは、今のところ人智の及ばぬところであり判断できないが、この3つのどれかであることは間違いない。
もし互角でないゲームだとしたら、神様同士が盤に向かいあった場合、振り駒の直後にどちらかが投了する。アマチュアが、時にプロの投了の早さに驚くように、神同士にとっては初形で既に「とどかない(逆転しようのない)ぶっ大差」なのである。
そして人間のために、より先後の優劣の差のないゲームになるよう議論を始めるだろう。
「終わり」を正確に宣言できるのは、神のみ。神は、夢を見ない。悪魔と表裏一体の存在かもしれない。
人間にとって「底」の見えない、果てしない将棋の世界
「ダイブ」したって全然届かない。人間には、将棋を終わらせることは一生できない。脳の思考力に限界がある。
また、「終わらせる」力において、コンピュータに先を越されるかもしれない。
でも、それは絶望的に悲しむべきことなのか?そんなことはないはずだ。だって、
それは仕方ないものとして受け入れよう。代わりに、これから先も待っている、佐藤康光先生が見せてくれたような壮大な人間ドラマを、楽しもうではないか。
終わらねェ!!!!
黒ひげのみつを*1
2009年11月追記
今見ると、最後のほうの文章は消去したいくらい恥ずかしい・・・。
*1:元ネタはONE PIECE 巻24
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