将棋の神様は、序盤構想もすごい
2008/06/07のエントリー『ハチワンダイバーの新石田流にみる「終わり」の定義とは』のなかで、『もし互角でないゲームだとしたら、神様同士が盤に向かいあった場合、振り駒の直後にどちらかが投了する。』と述べた。
では神様は、人間が発明している、先後の形勢差がなるべく離れないようにと培ってきた大量の定跡、様々な囲い、攻め筋なんてのは無駄な寄り道にすぎず、全く意味がない、と考えているのだろうか。
そんなことはないはずだ。それでは人間よりも想像力が欠如していることになってしまう。将棋の神様は、ありとあらゆる囲い、攻め、攻防を読み切った上で投了している。神は人間に知恵を授け、人間を支える存在であり、きっと人間へのサービス精神も旺盛のはず。「おぬし達はまだ気付いていないが、形勢に差が付きにくい、こんな面白い序盤戦術もあるのじゃがねぇ。ふぉっふぉっふぉ。」と天から我々に向かって微笑んでいるに違いない。
3人の将棋の神様
これまで当ブログでは、「将棋の神様」の存在として、一つの思想・役割を持ったとにかく強い神としてしか語ってこなかった。だが考えているうちに、ヒンズー教の「三神一体」という考え方は結構将棋にもしっくりきて面白いな、ということに思い付いた。この考え方を取り入れると、いろいろな棋士の性質、特徴についての切り分けができる。また、人間とコンピュータの得意分野について切り分けがはっきりできて、強さの質の違いを明確にできる。
三神一体(さんしんいったい)はヒンドゥー教において、3人の神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが本来は1体であるとする近世以降の考え。トリムルティ(Trimurti)ともいう。1人の神が次の3つの役割に応じて、3人の神として現れるという。
神はものすごい序盤中盤の「創造力」、仮に不利側を持たされた場合最長手数で終局となるような形勢の「維持力」(ねばり力)、そして優勢側を持った場合全く間違えない「破壊力」(終わらせる力)をすべて兼ね備えている。
それぞれの神には、どの棋士が最も近いか?
人間には、完璧ではないけれど、得意分野がある。特徴的な棋士を当てはめると、個人的には以下のように考える。
- 「創造」部門・・・佐藤康光二冠(次点・升田幸三実力制第4世名人)
- 「破壊」部門・・・羽生善治二冠
- 次から次へと定跡を「終わらせて」いく。棋書「最新戦法の話」(勝又清和六段 著)の中の第3講「後手藤井システムの話」で語られている「羽生という棋士は、興味をもったらあらゆる戦型に出没し、問題を提起し、答えを出し、(多くの場合)結果まで持って去っていきます。」が象徴的。プロレスの橋本真也氏に負けない「破壊王」っぷりである。
- 「繁栄(維持)」部門・・・大山康晴十五世名人(次点・渡辺明竜王)
- 「助からないと思っても助かっている。」「平凡は妙手に勝る。」(「大山康晴 - Wikipedia」参照)といった将棋に対する死生観が示す通り。あと記憶が定かではないが、「とにかく序盤は飛車を振って美濃囲いに囲ってしまえばいいんですよ。気楽に指せるから。そこからが勝負」というような言葉も残していたと思う(正確には「平凡は妙手にまさる―大山康晴名言集」に載っているかもしれない)。まとめて平たく言えば、「相手に好きなように指させる。自分から創造はしない。相手を殺しにいくこともしない。でも結果的に勝つのは自分。」という思想。大山先生亡き後の後継者は、渡辺明竜王か。「相手の序盤戦術を受けて立つ」姿勢に、適性を感じる。事前研究量で勝つような印象もあまりない。
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個人的に、この3氏と次点2氏は鉄板と考えている。ちなみに、コンピュータ将棋は現状「破壊」の方向のみに特化しているといえる。序盤は定跡データベースに頼っており、新構想を創造することは現状無理といえそうだ(詰将棋は自動生成できるようになってはいるが)。
ただ、「創造」をも可能にするアイデアを現状私は持っている。それはまた別のエントリーで。概要を言ってしまえば、棋力や流行への感度に多様性を持つ仮想棋士を多数用意し、「強い人が使えば流行る、勝てばより流行る、勝率下がれば衰退」といった現実の将棋界と同じ特徴を持つ仮想将棋界シミュレータを構築すること。うまく作れれば、ほっとけば勝手に仮想将棋界の中で新戦法が生まれては消え、となっていく。
(「プロ棋士を悪魔の実の能力者に例えると? - 将棋の神様〜0と1の世界〜」に続きます)
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