「手掘り日本史」(司馬遼太郎 著)に、升田・大山の話

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司馬遼太郎と江藤文夫の「升田・大山」観

最近読んだ「手掘り日本史」(司馬遼太郎 著)に載っていた、升田・大山の話をご紹介させていただく。
2008/06/08のエントリー「三神一体・・・創造の神・佐藤、破壊の神・羽生、繁栄の神・大山」で、「創造の神」の次点として升田幸三実力制第4世名人(第1位は佐藤康光棋王)、「繁栄(維持)の神」第1位として大山康晴十五世名人を挙げたわけだが、同様の見解が、題記の書籍で取り上げられていた(長めの引用御勘弁下さい>出版者様)。

歴史をになう、そのにない方に歴史的人物の特異性がにじみ出るということ

たとえば将棋界に升田・大山という二大巨峰がありますね。この二人の関係をごくアマチュア的な目で見ると、何かを創っていく者と、その創られたものを保持し、それに持続力をもたせていく者とのちがいが見えるように思うのです。歴史上の人物たちのあいだにも、同じような関係があるようにみえますね。時代を創っていく者と、その時代を維持していく者と言ったらいいでしょうか。

両者を繊細に見ると、かならずしもそう割り切れるものではないし、升田・大山のように能力を発揮する方向とか性格のちがいでだったり、たがいの一長一短を補い合う関係であったりする。まして単純にこれを善悪の関係で見ることはできないわけですが、それでも大きな構想力をもって時代を創っていく者には、信長のようにケンランたるものがあって、魅力を感じるわけです。しかもこういう人たちは、得てして悲劇的な最期をとげる。その反対の側に立つ人たちは得てして長生きする。

歴史のなかにも、どうもそういう二者の関係のようなものがあるように思えるのです。

「手掘り日本史」(文春文庫) P113

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この本は、江藤文夫が司馬遼太郎にインタビューする対談形式で構成されたエッセイだ。上記発言は、実際には江藤文夫が発したものなのだが、この比喩に対して司馬遼太郎が自然な流れで歴史観へと話を進めていることから、両者の「升田・大山」観は上述の通りで一致していると考えてよいだろう。

書籍の中で、升田・大山について述べられているのはこの部分だけ。いい発見ができた。私は司馬遼太郎の本を全く読んだことがなかったのだが(このブログをいつもご覧いただいている方はお気付きかと思いますが、私は基本的に歴史や文学に興味は無いです。哲学には興味はありますが)、たまたま実家に帰ったときに本棚に置いてあり、対談形式のエッセイで読みやすかったので読んでみたのだった。

一局一局としての視点と、俯瞰的な「時代」としての視点

上述の「三神一体・・・創造の神・佐藤、破壊の神・羽生、繁栄の神・大山」の中で、大山先生について私は

「助からないと思っても助かっている。」「平凡は妙手に勝る。」といった将棋に対する死生観が示す通り。(中略)
まとめて平たく言えば、「相手に好きなように指させる。自分から創造はしない。相手を殺しにいくこともしない。でも結果的に勝つのは自分。」という思想。

と、一局の将棋の中における大山先生の振る舞いを「繁栄(維持)の神」と例えたわけだが、上記書籍で語られるような「指さない将棋ファン」(多分)による俯瞰的な視点で見ても、大山先生は間違いなく将棋界の「繁栄時代」を司る「繁栄の神」だったことを感じさせてくれた。そしてその対極に位置する升田先生の存在感もきらりと輝いている。

大山先生が研究家だったら

繁栄時代を司る大山先生は、将棋の研究・定跡化を積極的には行なっていなかった。個人的に最も印象的なのは、山田道美九段による「山田定跡」をひっさげての「打倒大山」であるが、対居飛車もろもろに対し、大山先生は少しずつ形を変えた振り飛車で、のらりくらりと長い大山時代を築いた。
参考:

もし大山先生が研究家であったとしたら。「創造の神」であったとしたら・・・。当然周りの棋士はより血気盛んに研究に追随し、現代のような将棋の定跡整備が20年は早く進んでいたかもしれない。定跡整備の代わりに存在したのが、数々の番外戦術や面白いエピソード。タイトル数や対局数は今に比べ少ないものの、「指す将棋ファン」へはもちろん、「指さない将棋ファン」への話題も結構あったに違いない。

余談だが、現代はタイトル数・対局数が多く、新定跡が次々と生まれる時代ではあるが、勝又清和先生らの尽力によりすぐに情報整理されファンに適切な形で提供されていると言えると思う。しかし、棋士間の隆盛の流れについては情報整理されていない。つまり、「森」(「羽生時代」といったおおまかな視点)、「木」(Wikipediaなどで個々人の活躍を確認)の形で情報整理はされているけれども、木の関連性を現す「林」の形では整理されていない。例えば、森内俊之前名人、佐藤康光棋王羽生善治四冠のここ数年のタイトル数の遷移をまとめてグラフで可視化する、といった情報整理は日本将棋連盟の活動としては成されていない。
情報量が膨大になっている一方、グラフィカルに表示できるIT技術が十分に進歩している現在、個人的には、この「林」の視点で今の時代を把握したいし後世の将棋ファンにも伝えたい。可能であれば、データ収集は自力になってしまうけれども、JavascriptFlashを駆使し、グラフィカルな情報提供をいつか自分でできたらいいなと思う。

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この記事を書いた人

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」作者、兼二児のパパ。将棋クエスト四段。
「三間飛車の普及活動を通して将棋ファンの拡大に貢献する」をモットーに、奇をてらわない文章とデザインで記事を書き続けています。

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