最近は、趣味の時間を「三間飛車のひとくちメモ 新館」の更新のほうにあてているのだが、このニュースには食いつかざるをえなかった。
感謝の思いをこめて、タイピングの赴くままに書き綴りたい。
八王子将棋クラブの思い出
これは平成7年、今から20年以上前に八王子将棋クラブで獲得した四段棋力証である。
シミが付いていて黄ばんでいるが、捨てずに保管している大切な棋力証だ。
私は中学・高校時代、八王子将棋クラブに週末通っていた。といっても、年に4回、3ヶ月に1回程度の頻度だったと思う。
そんな私にも、八木下席主は年賀状を送ってくれていた。
それも秘訣のひとつだろう、活気のある禁煙道場だった。
天才小学生達がごろごろしていたはずだが、不思議と記憶はない。
今でも強く覚えているのは、比較的年の近い奨励会員のほうで、月刊誌「将棋世界」巻末近くに載っている「奨励会の動き」を、毎月それとなく気にしていた。
結果的にその少年はプロにはなれなかった。
小学生とは一局しか対局した記憶がない。
手合い係の方が、子供同士が当たらないよう配慮していたのだろう。
その対局は、中盤私の優勢に。そのときたまたま対局が空いたのであろう小学生友達が2人ほど現れ、不利になっている子に野次を飛ばし始めた。
嫌味はない。
うむ、小学生は多少粗野でもこのくらい元気でカラッとしているほうがいい、と思えればいいのだが、当時の私にそんな器量は無い。
平静を装いつつ、静かにしてくれよと内心イライラしていた。
そして小学生らしい早指しに釣られ、読み筋ですよとばかりにこちらも早指しで対抗し、あっという間に逆転。
「将棋あるある」である。
そしてあっさりと感想戦は終わり、天才少年はさっさと席を外した。
うむ、小学生は多少粗野でもこのくらい・・・orz
人生に必要なことはすべて将棋道場で学んだ
八王子将棋クラブではないが、私は大学時代に数年間将棋道場でアルバイトをしていたことがある。
朝盤駒を並べ、手合い係をし、営業が終われば片付ける。
うまく手合いがつかない場合は、たまに自分が対局する。
アルバイトなのに1度トーナメントに出場させてもらい、優勝してしまったこともある。
後悔はしていない。
社会人をリタイヤした方が多い、年齢層が高いところだったが、とても活気があった。
何回かすると、名前を見ただけで顔や棋力、得意戦法などが思い浮かぶようになる。
異様に強い原始中飛車おじさん、いつもぼやいているけど強いおじさん、毎回昼食をおごってくれるおじさん、などなど。
同じ段位でも強さはまちまちで、手合い係をやっていると強い初段と弱い初段がいることが手に取るようにわかる。
将棋アプリのように負けてもレーティングが下がるわけでも降段するわけでもなく、ボケてしまっても降段しないので、その差は半端ない。
おじさん達は、道場に来ないと「お、あいつとうとう死んだか」と軽口を叩かれてしまうので、意地でも毎週道場に通っていたのかもしれない。
陰湿はところは微塵もない、カラリとした粋な軽口である。
本当に訃報が届いてしんみりしたこともある。
ふたたび伝説の地へ
今日、当時のことももちろん知っている旧知の仲の友人から連絡があり、決めた。
閉所になる前に、もう一度八王子将棋クラブに行く。
黄ばんだ棋力証を携えて。
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