オセロの初手は4通りある(図参照)。だがおわかりのように、この4手は本質的には一緒である。ただの対称形なのだ。人間的な思考だと、方向感覚だとか慣れだとかで若干違う印象を持つが、コンピュータ的にはどれも一緒である。
なお、オセロを詳しくは知らないが、昔オセロの定石書を読んだときには、たしか初手は必ず(f,5)となっていたような気がする。
したがって勝負でいえば、オセロは、初手は省いてしまって(例えば(f,5)に置いた形を初形として)白先のゲームとしてしまってもよい。なぜそうしないのかといえば、それは初形(点対称)の美しさ、見た目の均一性、平等性、公平性(これらはまやかしなのだが)を視覚に訴えることで、オセロをとっつきやすいゲームに仕上げるためであろう。
これは将棋や囲碁にも言えることである。将棋の初形は、5五の升目を中心とした点対称形。とっつきやすく、(まやかしの)公平感もある。囲碁にいたっては、盤面には何もない、19×19の小宇宙が広がる(「コミ」という要素はあるけれども)。
見た目の公平感のために、勝負に無関係の初手を加える。将棋で言うと、どうなるか。私は、「見た目の公平感のために、勝負に不公平を与えている」といえると思う。これについては、次回に続く。
オセロの初手と初形
2004.02.26
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